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2005年10月 7日 (金)

ギルバート・デュランダル

今日のSEED-D祭はデュランダル議長とこれまでに書かなかったキャラ達w

まずは本作品のマスコットであるホーク姉妹。
序盤は積極的な姉が主にその役を果たし、後半は妹がその役を引き継ぐと言う、流れで、姉妹は揃ってその本来の役目を終えたようである。
ただ、姉ルナマリアについては少し複雑で、後半は主人公シンと家族を失う悲しさを共有する事になる。シン・アスカの時に、序盤の彼はカミーユ・ビダンとよく似ていると書いたが、最後のシーンも精神崩壊こそしていないが良く似たシーンに見える。
つまり、ルナ=ファとして見ると、今後2人は共に歩んでいくのかもしれない。

次にイザーク&ディアッカ。
前作に引き続き登場した2人。ザフト軍として戦う彼らだが、物語の中心が地上に対し、宇宙防衛の彼らの出番は多くなかった。それでも要所要所に顔を出し、その存在感をアピールしたのは、潜在的な2人のファンの為であろう。
ただ、最終戦闘でのイザークが、エターナルを「あれはザフトの船だ!」と呼び、護衛にあたらせた事は物語の重要なファクターであると思う。
良識を持った軍人なはずのに命令違反を犯すなんてイザークらしくない、結局アスラン達と共闘したかっただけ、と言う考えもあるだろうが、あえて彼の行動は正しいものであると私は思う。
彼の言葉はディスティニープランの否定であり、議長の暴走により提案されたこの計画は、人類の進むべき未来では無いと言ったのではないだろうか?
エターナルの行動こそ本来のプラント=ザフトが取るべき正しい道筋であり、ディスティニープランは実行してはならない。議長の暴走を止める事こそザフト軍としての正統な行動である!
彼のあの一言にはこう言った思いが含まれていたと思う。

最後にギルバート・デュランダル。プラント評議会議長であり、平和主義者。平和な世界を作る為にあえて混沌となる世界を作り出した、今作のラスボスである。
彼がひそかに進めてきた”ディスティニープラン”は、全ての人間の生まれる前にDNA情報を操作し、役割を事前に決定する事で、不平不満が出ない・争い事が起こらない世界を作る為の計画である。
こう言ったプランは既に過去のアニメ作品で多く取り上げられており、特異性のあるものではない。そして、そう言った世界では、確かに平和な世界となるのである。
ただ、そこに人間本来の持つ人間性というものは存在するのであろうか?こう言ったプランでは、必ずここが問題視される。人間性の統治で代表作となる”地球へ”は既にこのプラン(但しコンピュータによって管理されている)を実施済みであるが、実は人間性が失われる事への不安から、この世界への不信感を持つ人間をあえて少数作り出すと言う苦肉の策を取っている。
今回の作品では、その役割をオーブ(やラクス派)が負っていると言う事である。
実際に戦争が無くならないが人間性が保たれた世界と完全に管理された戦争の無い世界、どちらが正しいのであろうか?
日本人の多くは前者が正しいと言うかも知れない。しかし、これは今の日本が平和だから言えるのではないだろうか?
実際、現在の世界でも戦争が無くならない地域が多くある。そこに住んでいる人たちはどうであろう?毎日戦火に怯え、毎日、知り合いが・肉親が命を落とす状況で生活している人はどうであろう?
人間らしさなど無くても、命を落とす恐怖に怯えるより・肉親を失う悲しさよりと思ったとして不思議では無いであろう。
この為、デュランダルはあえて、コロニーを地球へ落とし(ここはデュランダルの仕業と言う確証は無いがそう見るのが自然であろう)、デストロイによる大量破壊を事前に止めずに、人々に恐怖を植え付けた跡に、これを破壊する事にする。実際はキラの駆るフリーダムが倒す訳であるが、これを利用しついでにザフトの正当性を訴え、又、人々から英雄視されることに成功する。
こうして策士デュランダルはディスティニープラン実行の準備を済ませるのである。
但し、ラクス暗殺については、デュランダルの指示では無いと考えている。ミーアと言う偽ラクスを使い人々の支持を得ていた事は確かであるが、だからと言って本物のラクスを殺す必要があるとは思えない。
ちょっとした調査をすれば、彼女が再び表舞台に立つ意思が無い事がわかる筈だからである。まして、そばには常にスーパーコーディネイター”キラ・ヤマト”がついているのだから、そんな無理をして返り討ちに合う危険性を冒す必要があるとは考えないであろう。
むしろ、本物が出てくる前にと考えた、デュランダル派の下っ端(ミーアの監視をしていたサラとか)が勝手に行動を起こしたと考えるのが自然だと思う。
但し、ラストを見て違う感想も持ったので、そちらについては後述する。

ちなみに、方法は違うが、同様の事をしようとしたガンダムがある。ネオジオンのシャア・アズナブルである。
実際には、宇宙世紀では簡単に書くと、人類が宇宙へ出る→ニュータイプになる→人が分かり合える→戦争無くなると言う認識があった。(今となってはこの思想にも疑問が残るが・・・)
つまり、地球に固執する、一部の上流層こそが問題であると言う思想である。そこで、シャアは地球にアクシズを落とし、冬の時代にする事で地球上の人間を一掃する事を考えたのである。
ただ、シャアはそんな自分を止めてくれる事を望んでいた節もある。あえて新技術のサイコフレーム技術を連邦に流し、あえてアムロとの一騎打ちを望むなど、策士としての常識を逸脱する行為がそれである。

一方のデュランダルはどうであろうか?
最終決戦時、起動要塞メサイアに乗り込み、破壊されるメサイアに一人で佇む彼も同様に、誰かに倒される事を望んでいたのでは無いだろうか?
こう考えると、ラクス暗殺も、自分を倒すものを求めて、あえてキラ達を自分の敵に仕向けたと言う考え方が可能となってくる。
人類の平和の為にはディスティニープランしかない。しかし、それは本当に正しい事なのだろうか?自分の正当性をあえて試す為に最強の力を持つキラ達を自分の試練として与えたのでは無いだろうか。
奇しくも両者の声優は”池田秀一”である事も偶然では無いのだろう。

あえて、敗れる戦いに赴く司令官と考えると彼も戦争の犠牲者であったのかもしれない。
もっと深読みするならば、人類の改革のために、あえて自分を犠牲にし、人類に警笛を鳴らしたとも考えられる。
最高の好敵手であるアムロと共に最後を迎えたシャアと、最愛の女性と自分を慕う子供のような存在と共に最後を迎えたデュランダル、どちらが幸せだったのだろうか?

こうして5回に渡り、登場人物の行動を脳内保管してきた訳だが、やはりこの作品は続きがあると思える節が多すぎる。
SEED-D祭最終回の明日は、あえて、次回作を考証していこうと思う。

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